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鳥取家庭裁判所 昭和37年(家)84号 審判 1964年3月25日

申立人 永井友子(仮名)

相手方 小島一男(仮名)

主文

一、申立人は、財産分与として、鳥取市湯所町○○○番地家屋番号同町○○○番木造瓦葺平屋建居宅一棟床面積二四坪二合五勺(登記簿上の表示)の所有権を取得する。

二、相手方は申立人に対し、上記建物につき所有権移転登記手続をせよ。

三、申立人は相手方に対し金三七万六、七〇〇円の支払をせよ。

四、申立費用中、鑑定のため要した金六、〇〇〇円(申立人予納)は申立人及び相手方の二分の一宛の負担とし、その余の費用は各自弁とする。

理由

第一、婚姻、離婚の経過

申立人は高等女学校及び家政研究科(二年)を卒業後、鳥取県商工課に勤務していたもの、相手方は○○農業学校を卒業後、無尽会社社員を経て農業会に勤務していたもの(昭和一九年六月頃に一度結婚をしたが、先方に肋膜の前歴があり病弱だつたので、双方合意の上で昭和二〇年一月頃に離別した)であるが、昭和二〇年四月二八日結婚の式を挙げ、同二一年三月二日婚姻の届出を了し、双方の間に、長男弘(出生後間もなく死亡)、二男進(昭和二二年九月二五日生)、三男悟(同二五年八月一一日生)、長女松子(同二八年二月五日生)が出生した。

結婚当初は東伯郡○○町の相手方の父母の家で同居し、申立人と相手方の父との折合は良くなかつたが子供もできたこととて離婚までには至らなかつた。相手方は昭和二三年三月より農林省の統計調査事務所○○出張所に勤めたが、昭和二九年七月に至り鳥取統計調査事務所に転勤となつたので、鳥取市に転居し、暫時間借の後市営住宅に入居し、夫婦と子供のみの生活となつて一応家庭内は平穏であつた。

昭和三一年五月相手方は、申立人の永井義男が所有する鳥取市湯所町○○○番○○宅地一五七坪四〇(換地B一七のR六、一四五坪〇四)の土地上に、約五八万円の費用を投じて家屋番号同町○○○番木造瓦葺平屋建居宅一棟床面積二四坪二五を新築し、これに転居し、同年一二月二五日相手方名義に保存登記を経由した(登記簿上は建物の所在は湯所町○○○番地上となつているが、これは登記申請に際しての錯誤に基くものと認められる)。この建物を建築するに際し相手方は申立人の妹原田明子より二〇万円ないし二五万円程度(その額について双方に争あり)の金員を借用した。しかるところ、申立人が昭和三四年九月父茂作を、同三五年一月母花を、前記家屋に引取つて同居させるに及び、申立人と相手方の両親との対立が再燃し、その頃になり嘗て相手方が未亡人や飲食店の女性と関係を持つたことのある事実(申立人と婚姻後のこと)も表面に出た。然し、対立の決定的な原因となつたのは、舅、姑と申立人との不和で、舅、姑は、申立人は意見をすると口答えをする女で自分達を親らしく遇してくれないと不平を言い、申立人は、舅、姑は子供の育児のことについて口出ししすぎると非難して容易に折れ合わず、申立人は両親との別居を主張したが、相手方は自分は長男であるから親と別居することはできないと述べ、遂に相手方は昭和三六年七月一七日当庁に離婚調停の申立をなし、その結果同年一二月七日「一、申立人と相手方は離婚する。二、双方間の二男進三男悟長女松子の親権者を相手方(註、本財産分与事件の申立人永井友子)と定める。三、申立人は相手方に対し生活資金として金三万円を次のとおり鳥取家庭裁判所に寄託して支払うこと。昭和三六年一二月一五日限り金一万五、〇〇〇円。昭和三七年一月末日限り金一万五、〇〇〇円。四、申立人は相手方に対し第二項記載の三子の学資援助費として昭和三七年二月より三子がそれぞれ成年に達するまで毎月末日限り一子につき金一、〇〇〇円宛鳥取家庭裁判所に寄託して支払うこと」との条項で調停が成立した。

第二、双方の資産、収入及び家庭状況

申立人名義の不動産はない。現在上記の鳥取市湯所町所在の家屋に三子と共に居住し、申立人の名義により煙草小売並に物品販売業を営んでいる。上記の営業は婚姻継続中より申立人が営んでいるものであるが、申立人が煙草小売の許可を得るについては相手方の尽力が預つて力あつたものである。収入としては、上記の営業による収入月平均八、〇〇〇円位、洋服仕立による収入月平均一万円位のほか、上記調停で定められた三子の学資援助費月額三、〇〇〇円がある。他に格別の預金、現金はなく、三子を抱えて生活が楽でないので、父より月一万円位の援助を受けている。なお上記建物のうち、店舗の部分(五坪五合位)は、申立人が昭和三四年初頃自己の名義で妹の原田明子より一一万二、〇〇〇円を借り受け(この金は未返済)増築したものであるが、従前の建物と附加して一体をなしており、法律上相手方の所有に帰している。申立人の父永井義男は鳥取市川端○丁目において鮮魚卸商を営み、二子の名義でアパート二棟その他を所有する。

相手方は離婚調停成立して上記の湯所町の家を去り、暫らく倉吉市上井の妹の許に身を寄せ、奇しくも昭和二〇年一月頃離別した妻がなお独身で居るのを知つて昭和三七年三月頃同女と結婚し、同年夏頃労働金庫、共済組合その他より借金をして肩書地に家屋を建築して父母と共に同居し、鳥取統計調査事務所○○出張所に通勤し、月収税込三万五千円以上を得ている。財産としては上記の湯所町の建物を所有するほか格別の預金、現金を有しない。負債としては湯所町の建物を建築する際に申立人の妹より借りた分の未返済分(その額について争があり、現在民事訴訟中である)のほか、現在の倉吉市の家を建築した際の負債がある。相手方の父茂作は元警察官で現在○○新聞社に勤務し、月八、〇〇〇円位の収入がある。

第三、本件当事者が婚姻中に取得した財産

本件当事者が婚姻中に取得した財産のうち、現存するものの主たるものは現在申立人が居住している湯所町の建物で、その時価は鑑定時の昭和三八年三月現在で、借地権あるものとして八四万三、四〇〇円、借地権なきものとして六六万三、四〇〇円である。他に現存する財産として申立人の持つ営業上の権利が考えられるが、その価額を正確に見積ることのできる資料はない。但し現在の申立人の営業収入より推してその価額はさしたるものではないと考えられる。外に特記すべき資産は見当らない。

第四、分与の権利の有無並びに分与の額及び方法

相手方は「本件離婚調停成立の際、財産分与の趣旨をも含みて金員支払が約されたのであり、申立人は調停で定められた金額以上には財産分与を求める権利を有しない」旨主張するが、前記調停条項にはその主張に添うような文書は全く存在しないのみならず、その額は上記認定事実に照し、財産分与として当事者が通常抱くべき合理的意思に合致する程のものでなく、外に相手方の主張を支持するに足る資料はない。よつて相手方の主張は採用できない。

而して上記認定のように、申立人と相手方との婚姻の期間が一五年以上(内縁関係を含めれば一六年七箇月)にも及ぶこと、申立人が湯所町の家屋を建築し得たことについては申立人の父が敷地を提供し、申立人の妹が資金の一部を貸与すを等申立人の親族の尽力があつたこと、上記家屋中店舗の部分(五坪五合位)の建増は申立人の出捐によつたものであること、相手方は公務員として生活が安定し未だ壮年で将来の財産取得能力があるに反し、申立人は現在の営業を維持するほか格別の財産取得を望み得ないこと、申立人は三人の子について監護教育の義務を負担しており、調停で定められた月額三、〇〇〇円程度の学資援助費では到底充分な監護養育の実を挙げ得ないこと、将来の再婚も相当困難であること等の事情を考えると、申立人は相手方に対し、相当多額の財産分与を求め得ること明かである。

ところで、相手方は給料生活者であつてまとまつた現金預金を有せず、売却を相当とするような資産をも有しないから、一時に多額の金員支払を命ずることは妥当でないし、分割支払を命ずるにしてもその期間はいきおい長期にわたらざるを得ないから、これまた適切な分与方法であるとは認められない。むしろ申立人が現在上記湯所町の建物に三子とともに居住し、ここを生活並びに営業の本拠としている事実にかんがみ現物たる上記建物を以て分与せしめるのが最も妥当である。ただ然し上記建物は当事者の婚姻中に取得された財産の殆んどすべてでこれを申立人に分与してしまえば、相手方は婚姻中に取得し得た財産の殆んどを失うことになり(この建物を建築するについては諸方より借財したのであり申立人の妹に対する借金も未済である)、相手方に対して酷であると謂わなければならない。そこで本件建物の価額のうち、適正な分与額を超過すると認められる部分については、これを申立人より相手方に償還せしめる方法を採ることとする。財産分与は単純な贈与でなく、離婚に際し、実質上夫婦の共有に属する財産を、その潜在的持分に応じて清算することを本質とするものであるから、夫婦共有財産の分割に類するものであり、現物を分与することによつて正当なるべき分与額を超過することとなる場合においては、家事審判規則第四八条三項第一〇九条の類推により、現物分与を受ける者に金銭債務を負担させ、以て実質的な利益を正当なる分与額に合致せしめる方法も許されるものと解する。

而して上記認定の事実及び本事件及び昭和三六年(家イ)第九九号離婚事件に現れた一切の事情を考慮すれば、申立人に負担せしむべき金銭債務(これを以下清算金と呼ぶ)の額は、上記建物の現在の価格の半額程度と認めるのが相当である。

よつて当裁判所は審判前この線を基準として調停を試みた次第であるが、上記建物の価格について双方の意見が対立し、申立人は借地権なきものとしての価格を主張し、相手方は借地権あるものとしての価格を主張した。上記建物は前記のように申立人の父永井義男の所有する土地上に所在するが、永井義男と相手方との間に敷地の賃貸借契約はなく、申立人の父が娘婿のためであるとして無償で使用せしめていたものである。そこで申立人は婚姻が解消した以上敷地の貸借関係は消滅したものであり、相手方の土地占有は不法であつて該建物は取毀家屋としての価格しかないと主張するに至つたのである。

よつて考えるに、本件の如き敷地の利用関係を民法上の使用貸借と呼ぶのが適当であるかどうかは別として、少くとも本件両当事者の婚姻の継続を前提として設定された貸借関係であることは疑なく、既にして前叙のような事情で婚姻が解消された以上、申立人の父においてその敷地の貸借関係を消滅せしめる権利を有するものであることはこれを認めざるを得ない。従つて本件建物を相手方の所有財産として評価する限りにおいては、申立人の主張は正当である。

然し乍ら、このような観方は、単純に本件建物を相手方の所有財産として評価する限りにおいて正当であるが、本件建物を財産分与として相手方に取得せしめる関係において把握することになると必ずしも妥当でないのであつて、例えば本件建物を借地権なきままに取毀家屋として他の第三者に売却し、その売却代金の中から財産分与をする場合に較べれば、いかにも衡平を失する。観点をかえれば、当該建物についてたまたま高価な買受人が現れたのだ、あるいは、借地権相当の価格は夫婦共有に属していた財産について価値多き分配方法を採つた結果生じた利益で事実上の利益でない、ないしは、この敷地利用権は実質上夫婦共有財産たる建物に付着していた権利で、共有財産の処分として把える限りにおいては借地権あるものとして評価してよい、というようなことも言えないではないであろう。

そこで翻つて考えるに、財産分与にあたつて、現物たる財産はこのように必ず一義的に決定しなければならぬものであろうか。財産分与請求権は審判によつてはじめて具体化される権利なのであり、その分与の額は一切の事情の集積によつて決定されるのである。財産分与の額が論理的に先行し、然る後財産の評価が行われるのではない。そうだとすれば当事者によつて価格が相異なる現物財産については、そのようなものとして価格を相対的に評価し、この点を一切の事情の一として考慮すれば足りるのではないか。そのようにしたところで分与の価額を決定し得ないものではないと解する。本件においては、相手方にとつては借地権なき建物を、申立人に対し借地権ある建物と同様のものとして(申立人と申立人の父との間には敷地の貸賃借関係はないが、格別の事情のない以上申立人の父において申立人に対し一方的に敷地の利用関係を消滅せしめる権利を有するものとは解されないから、借地権ある場合に準じて理解してよいであろう。)取得させることができる、というのが実体なのであるから、この実体をそのままに受け入れ、これを一切の事情の一として斟酌した上、清算金の額を定め、間接的にはこれによつて分与の額を定めれば足ると解する。

そこで以上のような観点に立つて清算金の額を定めることにする。即ち本件建物は、申立人により借地権ある建物と殆んど同様であるから、八四万三、四〇〇円ないしはこれに近い価値があり、相手方にとつては借地権なき建物として六六万三、四〇〇円相当の価値がある。そして精算金の額を前者の半額と定めれば相手方において不相当に利益を得、後者の半額と定めれば申立人において不相当に利益を得、いずれも衡平に合しない。それ故両価格の平均値をとり七五万三、四〇〇円なる価格を仮に設定し、その半額ある三七万六、七〇〇円を以て清算金の額と定めることとする。申立人の得た利益を金銭上の数値で表すことは必ずしも必要でないが、仮にこれを算定すると、申立人は三七万六、七〇〇円の金員を支払つて八四万三、四〇〇円又はこれに近い現物を取得できるのであるから、差引四六万六、七〇〇円又はこれに近い財産分与を得たことになる。(借地権あるものとして評価せられた場合より四万五、〇〇〇円程度の利益を余分に取得したことになる。)反面相手方は六六万三、四〇〇円相当の現物財産を喪失するが三七万六、七〇〇円の金員支払を受けるのであるから、実質上二八万六、七〇〇円損をしたに止まることになる。(借地権なきものとして評価せられた場合より四万五、〇〇〇円相当の利益を余分に取得したことになる。)財産分与をした者の出損した価額と財産分与を得た者の取得した価額とが等しくならず、ここに一八万円程度の差額が生じるが、これは本件建物の価格を相対的に評価した結果に基くものである。

よつて申立費用の負担につき非訟事件手続法第二七条を適用上主文のとおり審判する。

(家事審判官 今中道信)

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